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地震関連について

阪神淡路大震災(2003/01/17〜1/20)
 激震地区に住んでいた者として、書いておきたい。今でも鮮明に覚えている。
 私は丁度、震度7の1km帯と言われていた西宮の夙川付近のマンションに住んでいた。積み上げた荷物等が全て落ちていたが、私を避けて囲むように落ちていた。
 ベランダに出る。芦屋の方で赤々と見えたのはマンションの火事だった。明るくなると前の家が潰れているのが見えた。文字通り上からぺしゃんこだった。幸い付近に死者は0人だった。
 ラジオを出すため中に入ろうとしたら、入り口がテレビで塞がれ隙間が30cmもないので驚く。暗がりの中、よくすんなりと出れたものだと感心した。
 TVをつける。しかし、どこもただ惨状を映すだけ。だから近所に住む友人に電話して安否を確認する。
 電話は近場しか使えないので家にはかけなかった。暫くして親からかかってきて無事を伝える。私はこれから祖父の家へ行くと告げ、電話を切った。
 祖父の家は近く、自転車で40分ほど。阪神高速のあの倒れた辺りを添って東灘へと向かう。向こうへ渡らせてくれと思いながらこいでいた。祖父母とも無事でホッとした。

 当時私は学生だった。友人と待ち合わせて学校へ行く。彼女はかなり混乱していた。ベンチで壊れた校舎を二人で見上げる。これも文字通り「ひ」の形に真ん中が窪んでいた。それを見ながら「こっちに倒れてきたら私らアウトやね」と言うと、「そんな事言わないでよ!」と怒られる。うん、混乱してる君に言う台詞じゃなかったね。
 この地震で多くを発見した。筆頭は「自分」。私は今まで親から気が小さいだのイザってときには役に立たないとか散々な事を言われていたが、全て逆だという事が判明した。実家に戻るために迎えに来た親の方が余震に狼狽えていた。私はその時暢気に震度を当てていた。
 私が始終冷静でいられたのは、周囲が混乱していたからだろう。特に友人が怯えきっていたので、自分がしっかりしなくてはと思ったんだと思う。長女だから。
 そして、命があって五体満足なら何も恐れる事はナイとも思った。自分に自信がついた。
 一生涯忘れる事のない、もう体験しないかもしれない、貴重な貴重な体験。仮に次に災害に見舞われるようになったとしても、私は私のまま、揺るがないで行動できると自覚した日々だった。

 復興の裏側
 復興の工事は市街を中心に行われ、8年後の今はほぼ元通りになっている。思い出してほしい。全てが破壊された神戸の街を。当然、夜は街灯の無い、真の闇が其処を襲っていたのである。
 勿論、工事は夜も続けられていた。最近になって友人から聞いた話なのだが、その工事の人が女の人の叫び声をしょっちゅう聞いていたと言うのだ。辺りは闇。……そう、レイプが横行していたのである。しかも輪姦。助けに行けば自分が何をされるか分からないので誰も助けに行けなかったそうである。それを責める事はできない。すっかり無法の地となっていたのだから。
 湾岸戦争で、帰国した女性兵士が妊娠していた。命の危機が訪れると、男には強い生殖本能が現れるのだそうだ。本能だと? 恐怖を紛らわせているだけではないのか!?と私は思う。そんな小心者が女を嬲るとは!
 どれだけの人がこの事実を知っているのだろう? 被害届など出るわけがない。言えるわけがない。誰が好き好んで二次レイプを受けたいと思うんだ!
 私は漢が好きである。男には興味が無い。そして、オスを人間とは思わない。

平成16年新潟県中越地震(2004/10/23)
 種デスが開始して10分も経たない内に特別報道番組が始まってしまった……。時間は地方によっては違うみたいだね。

 ところで今、私は怒っている。ずっとTVはつけてるけど、ハッキリ言って見ていない。見る価値もないと思ってる。TV朝日とローカル以外の民放各局は。NHKだけで充分だと思う。
 休止した番組は、来週にもう一度放送してくれたらそれでいい。でもね、一体何を、誰の為に放送してるの? 被災地の人の為でないのは明らかだ。体験者として言わせてもらえば、こういう時はTVよりラジオが有効なんだよね。実際、震度6の地域でTVを見られない環境の人が多いだろうし。
 なのにキャスターは被災地の人間に語りかけるかのように注意して下さいなんて言ってる。余震が来るのは判りきった事だし、落ち着いて行動なんて当人たちだって判ってるんだよ!

 一体何を、誰の為に放送してるんだろうね?

 親類や友人知人は気が気じゃないだろう。だけど、役に立ってるのかしら? 何の情報もないのに同じ映像を垂れ流してるだけのものが。まったく、10年前と何も変わらないではないか!!

甦る記憶(2004/10/24)
 何か、日記で番組が潰れた事に不満を書いた人がいたとか(汗)

 地球が我慢を止めて怒りを露にし始めたとしか思えない。

 一夜明けて。
 何か判っただろうかと、朝からTVをつけていた。そして死亡者の数に愕然とし、その中で小学生がいたと知って泣いた。繰り返される被害状況の映像に、当時の国道2号線や他の色んな惨状を思い出した。
 数字ではなく、死亡者だけでなく、安否情報も一人ひとりの情報を教えてほしいのにさ。昨日のチャットは、そういう報道側に対する文句を言っていた。NHKだけだよね。それやっててくれたの。知りたいのはそういう情報だと思うんだ。電話は通じないし、延々とそんな惨状を見せられて、関係者は益々不安になるだけだと思うのに……。

 そして、避難所に若い女性がいたのでとても心配。震災の時、外でレイプが横行してたと以前書いたけど、避難所でも表には出てないだけで強姦されてた人がいたの。だから当時、頑なに避難所に行くのを拒否した人もいたんだ。そういう話を知ってるのでとても心配。

 今日衣替えしたんだけど、暑がりなのでもうセーターは着ないから、送ってもいいのかなと考えた。

かけられない言葉(2004/10/26)
 台風で水害に遭った男の子がいて、月曜日に出勤。会ったのは4日振りだった。そんなに話してるわけではないんだけど。でも月曜日、追い抜きざま、後ろを振り返ってにっこり笑ってくれたんだよね。「おはよう!」とかけた私の言葉は、少し高めの声だった。

 前にも書いたけど、こういう時に決まってかけられる「大丈夫?」「頑張ってね」という言葉を、私はやっぱり言えない。
 本当に大変で頑張ってて、或いはこれから頑張らないといけないって人に、赤の他人が軽々しく言っていいものかと思うんだよね。言ってもらって励まされる人もいるかもしれないけどね。だけど、頑張ってるのに、まだ頑張らないといけないのかと思う人が多いんじゃないかなぁって。

 同じく水害に遭ったおじさんがインタビューを受けていて、記者が「怪我はないですか?」とか「大丈夫ですか?」とか聞いてた。おじさんは始め笑顔を作って答えていたけど、記者が労るように肩に手を置いたら途端に泣き出したの。自分一人なら何とかなるけど、家族がいるからって。

 言葉だけじゃ駄目なんだと思った。でも、同じ体験をした人の言葉だと重みは違うと思うんだけどどうだろうか?

Sさんの話(2004/10/27)
 同僚の彼女も水害に遭っていた。台風の翌日休んでて、でもTVでは何もやってなかたので、Sさんの家の辺りの事は知らずにどうしたんだろうと思ってた。
 同じく月曜に出勤してきて話してくれた。胸から下までが水浸しだったとか。でも、彼女のアパートは2階だったので被害にはそんなに遭ってなかったそうだ。車は言うまでもなく廃車。

 Sさんは最後にこう言った。西脇市や豊岡市ばかり映ってるけど、自分の住む所も映してほしかったと。

 全く同感だ。民放各局、何人かを派遣して映したけど、流す映像はどこも同じ地域。こういう時は自他を越えて横で繋がって、西脇はA局、淡路島はB局、被害の規模の大きい豊岡は2局体勢でというように被害地域をつぶさに報道したらいいんじゃないかと思った。
 Sさんのように、TVに全く映らない地域で被害に遭った人は確実にいるのにね。だから私は同じ映像を垂れ流してと非難したんだよね。同じ映像を30分の間に何回流してるんだよ!と。そんなものでは被害者の安否は想像の範囲でしか推し測れないではないか。役に立ってるとは思えないよ……。
 しかも、合間のCMは何だよと土曜は思ってたよ。

思い出す事(2004/10/28〜11/07)
 体験してるし、映像見てると当時と全く同じなので阪神の震災を思い出してしまう。今週に入ってからはずっと……。激震地に住んでて、家具は持ちこたえ、上に積んでた荷物は私を避けるように落ちていて、私は怪我一つしなかった……悪運が強いというのはこういうのを言うんだなぁと思った。起きた状況は頭に物がぶつかって、誰だと寝ぼけてたという間抜けさだったけど、直後に二度目の揺れが来た時は布団にもぐって丸まっていた。

 日曜日に安否情報を唯一流してる教育TVをつけていた。画面に釘付けってわけじゃないけど。で、知ってる人の名前を聞いてギクリとしてTV画面を注視した。同姓同名の人だった。考えてみたらその人は新潟に住んでないんだけど(汗)

 思い出した事。
 母親が私の名前がTVから聞こえてきて仰天していたらしい。画面を見たら同姓同名な人だったのでホッとしたとか。電話が繋がらないので連絡してなかったんだよね。で、向こうからかかってきた時は神戸の祖父の家に行く直前で……。その時に父親が教えてくれた。
 当時は死亡者名を教育TVで放送してくれてたんだよね。つまり、私の両親もチャンネルはそこにしていたという事。

 1995/01/17、5:45頃に地震が起きた。2度目の揺れがおさまっても、次が来ないとも限らない。だから私はずっと布団の中で丸くなっていた。すると外から「◯◯ちゃん」と声が聞こえた。実はアパートの隣は級友が住んでたんだよね。互いに一人暮らし。実家があったというものの、当時子どもだった人とは違って、傍に私たちを守ってくれる大人はいなかった。
 その声を聞いて「行かなきゃ!」と思った。とことん長女気質なんだろう(笑) 上着も着ないでパジャマのまま真冬のベランダへ裸足のまま出た。

 明け方だから暗いのは当然だとしても、街灯の明かりすら灯ってなかった。状況が全く判らず、私たちはそこで話していた。すると前の道―と言っても車も入れないほど狭いんだけど―を男性が走っていた。「どうしたんですか?」と私が聞けば「そこで生き埋めになってる人がいる!」と。慄然とした。でも私たちはそこから動かず心配だけしていた。行っても役に立たないのは判っていたしね。こういう時、自分が男だったらと悔しく思うよ。

 あまりにも常軌を逸していたからだろう。寒さなど微塵も感じてなかった。

 いくら精神が昂っていたとしても、1時間もそんな格好でいると身体も冷える。寒さで震えだしたので、上着を来てくると級友に断って室内に入った。周囲が暗闇のため、停電してるのは判っていた。だから級友はライターを貸してくれた。入り口が狭いのに驚き、ウォークマンと電池を取り出しそうとしていたら、電話がかかってきた。

 当時の私は、固定電話が停電しても使えるとは知らなかった。一瞬呆然となったがすぐに受話器をとると、当時の遊び仲間のM君からだった。バイト仲間の繋がりで知り合った2歳上の男性で、数分歩いた距離に住んでいた。安否確認のためにかけてくれたんだよね。
 で、話しながら電池をセットしてラジオを聞いた。規模はM7と言ってたっけ? ちょっと記憶曖昧(汗) 電話を切って再びベランダへ出て、彼女にラジオで聞いた事を伝えた。そして、私たちは芦屋方面の空が赤い事に気づいた。マンションが火事になってたんだよね。

 明るくなるまで外で話していたが、着替える為に再び中へ。そして部屋の惨状に絶句。入り口の狭さもはっきり目で見られて、最初に出た時よくすんなり出られたもんだと思った。

 着替えた後、片付けた。しかし、また地震が来たら困るから、上に積んでいた物は下に下ろして布団は敷きっ放しにした。そして、その日が提出期限の論文を持って学校に行った。アパートの廊下にはドアを開けっ放しの所があって、今まで話した事もない人と話した。

 当時まだ携帯は普及してなくて、私は歩いて30分の距離に同じく一人暮らししてる友人に公衆電話から連絡した。学校の近くに設置してあったの。そして彼女も今から学校に行くと言うから、私は待ってる事にした。
 合流していざ提出しようとしたら、こんな状況で受け取れるわけがないだろうと言われた。実際、事務室のある校舎が壊れてたしね。でも、親が死んでも提出せよと言ってたので、カチンときた私は反論。実際、大阪に住んでる人たちが提出しにきてたしね。
 ま、結局後日落ち着いたら出してくれって事になった。
 それで潰れた校舎の前のベンチに座って、前に書いた事を言って、友人Aに怒られたわけだ。Aの混乱振りに私は驚いたけど、今現在互いに頼れるのは自分だけ。だから私はしっかりしなくてはと思い、Aは私を頼った。電車は止まってるので、彼女のアパートまで送ってあげた。

 停電は私の住んでいた西宮は2時間ほどで復旧したと思う。

 当時の私は新聞も読んでなくて、ニュースステーションを何気なく見るという程度だった。
 で、情報を得る為にTVをつけてみると、神戸の惨状が目に入ってきた。それから30分以上は見ていたけど、ずうっと「同じ映像」を送ってるだけ。何の進展もない上にそんな映像だけを延々と見せられた私はチャンネルを変えた。
 すると、一つだけアニメを放送していた(笑) TV大阪だった。何かね、ホッとしたよ。勿論、普段は全く見ない内容のものだったけど、終わるまでそれを流していた。私はビデオライブラリーと豪語するほどビデオを持っている。だから、アニメを見たいのならそれらを見てればいい。でも、その時はただ、他が惨状を映す中で「違うもの」を流していたので見ていたんだよね。本当にホッとしたの。

 見終わって1時間弱。何か判ったかなと期待せずに再び他のチャンネルに戻した。しかし全く変わってなく、ラジオで得た情報と同じ事をくり返し言ってただけだった。埒があかないとはこの事で、自分の目で見た方がいいと思った時に見た映像にショックを受けた。

 ちょっと補足。実は学校に行った時間が記憶があやふやで(汗) 多分、アニメ終わってから行って、友人のアパートから帰ってきてから再び外に出ていったと思う……。

 目に入った映像。それは阪神高速が500mくらい倒壊していたものだった。実は当時、祖父が国道43号線沿いのアパートに住んでいたんだよね。一人暮らしするようになって、家が近いから、私は折に触れて遊びに行っていたのだ。
 ちょっとね、暫く身体が動かなかった。で、心配だけど学校には行かないといけない。だから行ったの。友人の事は予想外だったけど、放っておける筈がないしね。でもまだ午前中だったかな。昔は本当に不規則な生活してたんで、ご飯を食べていたかは忘れた(苦笑) それで安否確認行くんだから、TVより自分の目で行く時に見てきた方がマシだとTVを消してさっさと準備し始めたんだよね。

 電話は停電に関係なく使えると解ったものの、繋がらないだろうと思っていた私は、実家に全く電話しなかった。祖父の家までは自転車で飛ばせば40分くらいだったかな。だから慌てて準備していた。さぁ、行くぞという時になってその日2度目の電話がかかってきた。親からだった。
 何度もトライしていたらしく、やっと繋がったと開口一番に言った父は、次に何故電話して来ないんだと言った。当然の言葉に、繋がらないと思ってたからと素っ気無く答え(笑)、今から祖父の家に行って安否を確認してくるからと、向こうに着いたらこちらから連絡するとだけ言うとさっさと電話を切って、言葉通り私は出かけた。

 まずは夙川公園を突っ切って国道2号線に出た。そして絶句した。ここは本当に日本なんだろうかと本気で思った。
 隆起している道路は、車で埋め尽くされていた。危険なのにそれでも車は進もうとしていた。また歩道にはジャージ姿で道行く人々。
 ハッと我に返った私は、右へと自転車のハンドルを切った。しかし、なかなかスムーズには進まなかった。道が平らじゃなかったからね。そうして海側へと道路を横断していった。

 学生ってのは時間の余裕があるもんで、私は週末になると最高は六甲あたりまで自転車で行った事もある。そして通ってた店もある。しかし、地震で店舗自体が潰れてるものもあった……。
 祖父の家に向かうも、いつものルートは使えなかった。何故って? それは惨澹たる有り様だったから。一番覚えている事は電柱がポッキリと折れて道路を塞いでいた事かな。それも両側からクロスになってた……。そんなワケで迂回に次ぐ迂回で、なかなか進まなかった。
 ようやく43号線に到着した。後は海側へ渡ってあと少し。道路は車は通ってなくて、そこには自転車に乗る人たちで埋まっていた。再び思った。ここは本当に日本なのだろうかと。横で走ってる人たちも言ってたけど、まるで中国のようだったな……。

 43号線。早めに渡っていたら良かったと後悔したなぁ。そう、あの倒壊した高速道路の辺りを走っていたの。TVで上空から見ても長かったんだもの。人間の目線で見たら何と先の見えないものなのか。
 倒れた道にあったトラックも見えた。当たり前だけど、画面で見たら小さいそれがリアルだと圧倒される。そして、報道関係者もそこにはいて写真を撮っていたな。

 かなり近い場所を移動していたわけで、今思うとかなり危険な行為だったな(汗) 最近、友人の日記で知ったのだが、どこぞの大学生達がTVで取材されて見物に来たと答え、記念写真を撮っていたとか……。いつだってこんな無神経な人間がいるんだなと思った。

 祖父の家より大分離れた所で渡るのかなぁと思いながら自転車を漕いでいた。やっと向こう側に渡るとそこは丁度祖父の家を挟んだもう一つの道路だった。つまり、この倒壊した場所の近くに住んでたって事になる。慌てて奥の道に入って自転車を停めた。

 祖父の家はアパートの3階。この頃より少し前から祖父は、歳のためか歩くどころか、立ち上がるのもやっとといった身体だった。
 私は全速力で中へと走っていった。そうして階段を一気に駆け上がろうとしたら、後ろから「◯◯さん!?」と声。慌てて振り向くと、祖父とおばあさんが、アパートのエントランスにいた。祖母は5歳の時に亡くなったので、おばあさんは祖父の再婚相手。だから私をさんづけで呼ぶ。見ると厚着をして膝に毛布をかけて祖父が椅子に座っており、傍におばあさんがいた。

 無事を確認して力が抜けた。初めて泣きそうになった。

 私が来てから数十分して、おばあさんの親類が駆け付けて、そちらに一旦避難する事になった。私はそれを見送った後、家に戻って親に電話をした。
 それから父が迎えに来ると言うので荷物をまとめていた。その間、ずっとTVはつけっ放しだったけど、チャンネルはやっぱり教育TVだった。民放は相変わらずで、自分で見てきた以上の事は何も言ってなかったからね(苦笑)

 級友は実家の愛知へ帰り、友人Aも卒業したらすぐに広島に帰ってしまった……。阪神で就職すると言ってたんだけどね。Aは阪神には地震がないと聞いていて、パニックになっていた時にしきりに「何で!?」と泣き喚いていた(汗) それ聞いて私は地面に立って暮らしている以上、ないと言い切れるのが不思議だったな。勿論、そんな冷静な突っ込みは心の中だけでしたけどね。

 実家に戻って、荷物を再び取りに行った時に一緒に来た父は、私を待っている間に来た余震に慌てて車を移動していたな……。傍の家の塀がグラグラと波打つように揺れていたとかで。同じ時間、私は体感で震度を当てていたよ(苦笑)

 私は五体満足で、住んでいたアパートもヒビが入っただけ。後で建物の調査が入ってたけど、一番ランクが上の評価だった。今の……手抜き工事してもバレない(と当時言われてた)法律になる以前に建てられたものだったからかな? とにかく幸運だったと思う。
 明るくなって絶句したのは、私の部屋の前にある家がぺしゃんこになってた事。しばらく言葉が出なかったもの。でも、私の住んでた松園町は、実家で新聞を読んでたら死者が0人で、あの生き埋めになってた人も助かったんだなとホッとした。

 当時、生活は不規則だったのであの時ちゃんと食べてたのかは記憶にない。数カ月振りに実家に戻って、久しぶりに母の夕食を食べたけど、感想なんて全く覚えてない。私の家で、母の料理を美味しいと言って食べてたのは私だけだったのにな。

 新潟での地震関連の報道を見ていて、私は明らかに情緒が不安定になっていた。だからこうやって書き綴る事で心の平穏を取り戻そうとしたんだろう。もう一つ理由はあるけどね。
 私がそうなのだから、PTSDと診断された人たちはニュースでそんな映像が突然飛び込んできて、どう思ったんだろうと思った。

ニュース(2004/11/08〜11/09)
 新潟の余震。先週も震度5が来たよね。そこで取材を受けていたおじさんが「……震度4か5かな?」と呟いてた。それを聞いてああやっぱりなと思った。私もそうだったから。ずっと地震に遭ってると、体感で震度が判ってしまうんだよね……。

 避難所で生活してる人って、TVを見られる環境なんだろうか? 10万人いたのが今は4万人と言ってたかな? 家に戻れた人は良かったと思う。でも、まだ余震が来ないとは言えないから、怪我などしないよう気を付けてほしいと思う。

 10年前、しばらくは震災関連の放送をしていたのに、オウムの事件が起こると今度はそちらばっかりだったね。あの時は「何だよ(怒)」と思ったけど、今はどうだろう? まだ一月も経ってないのに報道時間が減ってるよね。新聞も。何? 野球? 人質事件? 三菱の本社移転が白紙? ……二つはどうでもいい事じゃなかろうか? いつまでも古い話はやってられんって事? よりセンセーショナルなネタがいい? 地震でそうだから、台風被害なんて殆ど見かけない気がするんだが……。所詮は他人事なのかなぁとか思った。国営の災害専門のチャンネルがあったらいいのにな。

 と、書いたけど、今「報道ステーション」では地震と台風の被災地を取り上げてた。他の局はどうなんだろう?

 先週、ある管理人さんからのメールで絶句した。
 取材の最中に余震が来て、近くにいた女性が泣き出した。すると記者は、カメラを避けるように顔を隠していた女性に「大丈夫ですか!?」と何度もマイクを向けていたそうだ。その記者は20代の女性。また、別の報道番組で、避難生活を不安な気持ちで過ごしてる人たちを、そんなナレーションで流した映像にも泣いている人が。
 マイクを向けていた者は何を考えていたのだろう? 誰の為の報道なんだろう? 同じ20代女性の「報道〜」のキャスターは現場で涙声でリポートしていたというのに……。先日私が書いた記者は男性だった。
 人の気持ちが解らない、想像力が働かない人が、そういう仕事には就いてほしくないなぁ。

 今日の新聞、ファルージャ総攻撃の記事の隣はまた野球……。日本人は野球が好きらしいけどさ、半数はそうじゃない人なんじゃないの?と聞きたくなる。それこそ人の命に関する事なのに、隣がソレなのか? スポーツ新聞だけに載せていればいいじゃない。

思い返す(2004/11/10)
 23日当日、突然画面が変わってしまって、残念に思ったのは正直な気持ちだ。しかし、そんなのは一瞬で、私の頭の中は地震関連の事で頭が一杯になってしまった。だけど、そう思ってるのは実際に体験した人達だけなのだろうな。

 他のサイトの日記を拝読していて、地震について触れているのもあれば、全く触れていないものもあった。
 別段、私はそれに対して不満や不快感を感じていない。寧ろ、敢えて触れずに普段通りの日記を書いてくれて良かったと思う。
 中でもとても好感を覚えたのは、自分はそんな体験をしていないからどんな言葉をかけたらいいのか判らないと書いてくれて、そして災害に遭った人たちの無事を祈っていた事。頑張って下さいではなく、安否を気遣っていた事。解らない事を解らないと書いていてくれる事。それが嬉しかった。被災した時の気持ちを分かち合う事は絶対に無理だけど、その気持ちが嬉しかった。

 そうかと思えば、自分も経験者だと言いながら、また当事者ぶってはいるが、的外れな、とても看過できないような内容を書いた者もいた。大袈裟な言い方かもしれないが、逆鱗に触れた、という表現が当て嵌まると思った。

11/08朝日新聞の社説(2004/11/11)
 タイトルは「被災の子ども」で、見出しが“SOSを見落とさないで”だった。かなり省略してるけど。

↓ ↓
 元気そうに見える子どもたちも、激しい揺れを体験した事で大きなストレスを抱えている。
 阪神大震災では、精神的な衝撃による様々な症状が子どもたちに現れた。
 幼稚園児や、小学生が指をしゃぶり始め、気をひこうとして親にしがみつく。赤ちゃん返りである。狭い所を怖がってトイレに行けなくなる子もいた。中学生も落ち着きがなくなり、無気力になった。こうした症状は、揺れが大きかった地域ほどひどかった。
 精神的な打撃は長引く傾向にある。阪神大震災からまもなく10年になるが、震災の影響で心のケアが必要な小中学生は今なお1300人を超えている。
 震災そのものの恐怖によるストレスに加え、住み慣れた環境が変わったり、被災で親の仕事がなくなったりしたことも大きな原因となっている。
↑ ↑
11/13朝日新聞(2004/11/26)
■阪神大震災を「忘れない」

 神戸市長田区で毎秋開かれる「一七市(いちばばいち)拡大版」が14日、10回目を迎える。
 発生の1995年1月17日にちなんだ名前の市は、回を重ねるごとに参加団体や訪れる人が増え、他の被災地支援や商品会貼るの志につながっている。

 地元の学校からも市への参加が続く。
 長田区の神戸常盤女子高がブースを設け、20種類ほどの試作品を並べる。総合学習で2年生が作業所と力を合わせ、新商品を生み出そうと知恵を絞ってきた。その途中報告になる。
 同校の教諭(40)は「いまの生徒の多くは震災の記憶といっても、当時は幼く、あまり浮かばないようだ。市に深く関わることで、この地を心に刻んで欲しい」と話す。

 今年、各地で相次いだ災害は。阪神大震災の記憶を呼び起こしました。6千を超す人々が犠牲になったあの地震からまもなく10年。人と街は、どう歩んできたのでしょう。そして、これからは……。随時、お伝えします。「忘れない」を合い言葉に。

■震災手記「あの日から…」

 神戸の活断層が動いた日、私の心にも大きな亀裂が入りました。当時小学生だった2人の子、夫と自分の無事を確かめ、自然の恐ろしさに震えました。悲しい場面を見すぎて、生き残っていることの負い目が自分を責め始めました。
(中略)
 約5ケ月間の入院生活で、人間は年齢順に亡くなるとは限らないことをそこでも知りました。悲しみや苦しみをほかの人に全部引き受けてもらえないことも。そして、自分の寂しさやつらさを背負いつつ、隣の人の苦しみも楽にしてあげられる人が大勢おられるのを見たのです。互いに寝たきりなのに、なぜそんなことができるのか不思議でした。独りぼっちを一度強く味わうと、人間は一握りの優しさに敏感になる。その優しさに触れると。もう少し自分も他人も大切にしようと思えるのです。
 その話を同室の方にすると、「他人も捨てたもんじゃないでしょ」と言い、微笑みで包み込んでくれました。被災地に生き残った人たちも互いに支えあえる、と光を感じました。生きたことに負い目を感じる気持ちを、真綿で包んで大事にしようと思いました。

10年目……(2005/01/17)
 この日だけは外せないなぁと思って……。
 10年だからと言うよりは、新潟の地震発生時に看過できない発言を目にしてしまい、それに関連して書いていたからなのかもしれないね。(→天に唾を吐く

 私ね、やっぱりダメみたい。今も震災関連の特集してるのだけど、映像流れるだけで涙ぐんでしまうんだよね……。

 先週の火曜日から「救命病棟24時 」というドラマが始まった。単に江口洋介と松嶋奈々子目当てで前回同様見始めたんだけど……そんな展開になるなんて思いもよらなかったから、暫く呆然としていて、次に涙がボロボロ溢れてきた。取材に基づいて制作されたとはいえ作り物の世界なのに、映像見て思い出してしまうんだろうなぁ(苦笑)
 そこでやっと気づいたの。やっぱり私も傷付いていたんだなぁって。そう言えば最近寝坊助けなのに、今日起きたのもその時間だったな。これからも地震のニュースを見る度に泣いてるんだと思う。

 本当に、無責任な発言をする人たちに、就寝中に同じ地震に遭ってみたら?って言いたくなる……。

─END─
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at 05:45, 真神恵, 望月の謳(随筆)

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中傷に関する報告

報告(2003/11/30〜12/09)
『通常、危険と目される人物から警告があった場合、とりあえず相手の言い分を聞き、危険を回避するのが為政者。人間の生命の尊さが全てに優先されるから』

『……エイズでも、どんな形態の差別が発生しているのかも知りません。直接には関係がないと情報不足になり、無知から人を傷つけるかもしれません』

 それぞれ、水曜日と今日の新聞の読者投稿欄にあったものである。前者を読んで、なるほどと思った。
 9日に、私はある件で書簡に大量のメールを送られた。深夜2時に30分をかけて。それは、真実を知らないというのが明らかに判る内容だった。
 私は憤慨した。しかし、それ以上にその内容を読んである人物(仮にAとする)を隠れ蓑にした内容にしか見えなかったのと、終わった事を蒸し返し、その送り主(仮にB)が私に指弾した事をAに対してBもしていると思って怒った。
 そして、一週間後に送ったレスに、この事をAに報告すると書いた。その姿勢が許せなかったから。そして、猛省を促し、反省しないのなら二度と関わらないでくれとも書いて返信した。

 レスに一週間かかったので、それくらい待とうと思った。そうしてネットしてると、メッセに訪問者が現れた。草紙を読んで事態を知って、話がしたいという事だった。
 2時間ほど会話して私が勘違いしていた部分があった。つまり、参加者の誰か(C)が直接伝えたのでなく、チャット中に聞いてきた人(D)がBに話したようなのだ。  何でもメッセをしながらチャットに参加してて、荒らしが来た時それを伝えたら、「詳しく教えて」とDが催促したらしい。Cは申し訳ないと謝罪してくれたが、私が他言無用にとお願いしたのは最後だったので、それは仕方がないと思った。
 矛先は参加する意志がないのに、ロム禁止にしてるチャットの内容を聞き出した挙げ句、Bという第3者に教えたDに向けられるべきだと思っている。どちらも部外者であるのに。そして、不確かな情報にも関わらず、私を断罪したのだ。
 しかし、CはBが仲間思いだから、それが高じてやってしまったのだと弁護した。私はCの事は好きだし、彼女が悪いとは思わない。だから、彼女の言い分を信じて11月いっぱいは待とうと決めた。

 忙しいという理由は全てに優先する?
 否、である。
 但し、今回はBは自分のした事が正しいと思ってやっていたから、忙しいと言い訳したんだと思う。Aを思っての行為だというのは解る。仲間思いなのも解った。
 ……だから?
 そうでない人には何を言ってもいいのかな? とても排他的に見えるよ。
 送ったレスについては、一つ一つ間違いを訂正し、過った情報を正してあげた。不確かな情報で判断するなんて、言語道断だと思うから。他にも指摘してしまった事があるけどね。

 まぁ、いろんな事を考えつつ待っていたんだが、変化無しの状態が続いた。そして最終日の30日、レスが来ないという前提でAに報告する文と、Cに報告する文をそれぞれ考えていた。
 深夜に大量に送りつけた点を注意したので、まさかそんな時間には来ないだろうと思っていた。落ち着かない一日だったな〜。
 21時を過ぎて、もう来ないだろうと見限り、Aに報告すべくメールを打とうとした矢先に書簡に送られたメールが転送された。そう、レスが来たのだ。

 私書箱は、受信側はウェブ上に残されるのでいつでも見る事ができる。しかし、箱メをした事がある人は知ってると思うが、送信側はバックアップを取ってないと手元には残らない。
 最初に来たメール(1)は3400字弱。対する私のレスは6700字弱。そして次に来たメール(2)は2000字強だった。総文字数が判るのは、私が一連の情報をPCに保存していたから。
 事件当日、初期は荒らしでしかなかった彼(E)が、何時何分に来たか、どんな名で何て発言したかを私はメモしていた。途中でAの間違いを指摘し始めたんだが、済んだ事なのでそれは書かない。今、PCにはそれらのメールと共に、事のあらましを4400字程度に、当時何を思っていたのかもレポートにしてまとめていた。勿論、メモを参照にして作成したものだ。
 何故そんな物を書いたのかというと、終わってから、自分の行いを検証するため。だから、忘れるどころか微細に渡って当時の事は思い出せるのである。もう消してもいいだろうと思っていたのだが、人づてに聞いた情報を元に書かれた1が事件の半月後になって送られたのである。

 やってきたメールを開いて、それが2だと判って私は嬉しく思った。何故なら、「反省」したらメールしてと書いていたから。
 とても丁寧な言葉遣いで、私の掲示板レスの言葉を引用していたが、実際のカキコとは殆ど違っていた事へのお詫び。「微妙に間違っていた」と言っていたが、細かい事はこの際大目に見た。記憶を頼りに書いたが上の誤りだと認めてくれた。そう、メモ書きしたのではなかったのだ。
 次にメールを送る上での不備の謝罪。私はドコモの505i使用だから送受信が250字しかできない。分割して送られたそれは、まるで私書箱荒らしにしか見えないようなものだった。ただ、深夜に送った事に対しては発言がなかったので、それがちょっと気になる。
 レスを熟読してくれて、長いメールを書いた事にも労ってくれていた。ほぼ倍だからね。それこそ一つ一つ間違いを訂正して、過った情報で判断した事を指摘したのだ。そして、詳しく当時の事や、私の行動の意味も伝えた。そして、その上で意見を求めたのだ。
 メールはここで終わっていたので、続きがあると思って待つ事にした。

 全部で6通。
 今回は少なかった。それはやはり私の指摘を反省してくれたからなのかな?
 しかし、読み進めていくうちに、私の表情は険しいものへと変わっていった。

 丁寧な文ではなくて、慇懃無礼。あら探しをしてるような、皮肉混じりで、1よりも毒性が強かった(苦笑) そして曖昧な表現を1と同様にしており、矛盾点が目立ったメールだった。あとは“語るに落ちた”と言えるかな。

 何だか唐突にある管理人さんの日記を思い出してしまった。えっと、確か「裏切る人は嫌い。自分が常に正しいと思ってる人も」と結んでた。その日記を思い出した。

 ああ……何やら上手く文を綴れない(汗)
 前回私を「真神さん」と呼んでいたのに、今回は始終「真神様」。実は、この「様」付けって、丁寧に見えるけどあまり勧められた敬称じゃないんだそうだ。ネットマナーにそうあった。これはワザと使用してたのかしら?
 うーん。内容を一つ一つ吟味してたら終わりそうにないなぁ。どうしよう……。他にも書きたい事あるしねー。

 2通目において、私と根本的に考え方が違うと記されて、私のレスが無駄に終わったのだと悟った。Bは議論したいわけではなかったのだ。だから、その後のメールに何が記されていたのかは想像に難くないだろう。

 しかし、私が真相を教えた事に驚いていた。何故だろう? 1でどのような意見も受けると結んでいたのに? 何故と尋ねていたのに? 納得がいかないと訴えていたのに?

 私が先を見越して動くのだと知り、Bは自分はその時の状態で判断して動くのだと書いていた。しかし、私は“未だ見えぬ先の話を考えて”いたのではなく、現実に起こりうる逼迫した事態だから今回そう動いたのだ。
 例えるなら最近起こった桶川のストーカー殺人事件。あれは関係者が必死に訴えていたのにも関わらず、警察が最悪の結果にしてしまった事件。警察は“起こらない”と動けないから。
 今回はそういう状態だった。参加者なら誰もが認めるだろう。不参加だから解らず、そう感じたのだろうね。私は警察じゃないからそう判断して動き、結果今はどうだ? 通常通り過ごせているだろう?

 Bは物事を一歩引いて判断できる人間だと1で語っていた。そして、2ではその時誰が苦しい、苦しめられているかで行動すると書いていた。
 公平な目線って、感情を排除した状態で判断するものだと思うのだけど、違うのかな?

 間違いに関しても“あの程度”なら大丈夫と言っていた。はて? 私は一方の情報を明示したが、もう一方は書いてなかったのに、何故そう判断できたんだろう? “あの程度”と評する事はできないと思うんだが。私が難しく考え過ぎたのか?
 そして、私が危惧するが限りなく0に近い可能性だったので「あり得ませんが」と前置きした上で書いた例示を心配する事はないと言った。何故それだけを挙げたのだろう? 知ってる情報を小出しにして、事の真相を知ろうとしているだけなのではないだろうか?

 1通目で引用の誤りを謝罪したのに、それで私を“人としてどうかと”と断じた事に関しては何も詫びてなかったな。
 それから、やはり来たかと思った指摘を受けた。結局1で言いたかった事はそれらしいのだが、あれで推測するのは難しいだろう。

 “何故知っていたのにAに指摘してあげなかったのか?”
 参加者全員も思ったであろう疑問だと思う。しかし、私はこれをBに答える必要はないと思っている。それを聞いていいのはAだけだ。そして、私はAにそれを答えている。ただ思った事全てを答えたわけではないので、Aが望めば洗いざらい心情を語るつもり。
 そして、一つ聞きたいのはDにも指摘したかという事だ。Dはリアルタイムで知っていた。参加できる状態なのにも関わらず、Aの援護も何もしないでCから聞いた実況を傍観していたからだ。だから、ある意味Bの今回の行いに感謝する思いも正直あったりする。裏で行われていた事を知る事ができたのだから。

 そして否定しておきたい事がある。以前にも書いたのだが、『無知とは無邪気で残酷であるが哀れでもある』という言葉。Bは6通目でどのような言葉でも文字で表現されるのは嬉しい、自分に言葉を付けてありがとうございますと言っていた。  違うんだよ。あれはB個人に宛てたものじゃないんだよ(汗) あれは私の座右の銘の一つなんだよね(苦笑)

 Bはそれを“綺麗な言葉”と評した。う〜ん……綺麗、なんだろうか? 真実じゃないのかなぁ。というか、この言葉がどこから来てるのか解らないのだろう。
 『無知の知』といえば、たいていの人は解るかと思う。そう、哲学の父・ソクラテスの言葉。私が常々気を付けている事。だから私は質問魔で知りたがりなんだよね(笑) あの言葉はこれをアレンジしたものなんだ。
 この言葉への返答として、Bは物を知らないわけではないと思う、そして哀れむ余裕がある私を羨ましいと言っていた。

 語るに落ちた。

 無知の知とは、簡単に言えば知ったかぶりをするのはいけない、自分が知らない事がある事を自覚すべきだという事。戒めの言葉。だから、自分が知ってると言った時点でアウト。それに無知が今回何を指してるのか理解できなかったようだ。

 まぁ、私の質問や指摘に対して殆ど答えてくれなかったのは間違いない。それは2通目にハッキリ意志表示してるんだけど。でもね? 最後に返答が足りないと思ったら箱メしてくれって結んでるのよね。終わらせたいんじゃないのだろうか?
政治家と政治屋(2003/12/10)
 私は可能な限り先の事を考えてよく行動を起こす。Bはその時その時で考えて行動する。
 確かに正反対だね。
 そして、思いついた喩えが“政治家と政治屋”。

 1を受け取ってレスを書くまで、私は最低でも20回は読み返したと思う。そして、書いてからは自分のレスが間違ってないか直前まで推敲していた。自分だけだと独りよがりになると思って、友人にも添削してもらった。
 Bは熟読したと言ったが、果たして本当だろうか?
 確かに正反対だ。しかし、読み取ったのはそれだけ? 上の喩えは的を得ていると思うんだ。

 今回長々と書いてる事で、察しがつく人もいると思うが、私は2にレスしない方向に向いている。同情で自分の話をしたいだけの知りたがりに返す価値があるのか疑問に思うからだ。
 2は1ほど読んでない。というか、読みながら日記を書いていた。つまり、自分の考えをまとめるために日記に書いてたんだよね。でも10回は読んだと思う。

 仕事中に考えてたのもこの事だった。そして話が噛み合ってない理由がやっと解った。
戦略と戦術(2003/12/11)
 噛み合ってないのは視点が違うから。

 私は戦略の話でレスしたんだが、Bは戦術の話をしてたんだよ。噛み合うわけがない。
 物事を一歩引いて見られるならそれは判読できると思ったのだけど。私はある事を指摘したが、それは正しかったんだと2で自ら証明してくれた事になる。
 私は確実に起こる未来を想定して、その時にこれがベストと思い一つの戦術を採った。しかしA側の者にとってそれは許し難い方法で、Bは私が最悪の事態になると思ってしなかった方法を述べていた。
 確かにその時はそうして乗り切れると思う。でも、それによってAや私のサイト、そして参加者のサイトが閉鎖に陥るような事態が起こっても構わないのかな?

 管理人なら大所高所から判断すべきと思うんだけど違うの? 管理人だけの話ではなく、上に立つ者として当然の義務だと思うんだが違う?
 私は戦略を立てて戦術を練る。だから正反対と言われたらそれまでだけど、戦略だけで実行に移さない人間ではないので、同等に扱われるのは勘弁願いたい。柔軟な思考ができる人間になってくれたまえよ。
段取り力(2004/12/24)
 「世界一受けたい授業」という番組があって、初回に斉藤孝先生の授業があったの。だから見てたんだけど(笑)

 テーマは“段取り力”というものだった。
 社会に出たらそれを当然のように求められるが、小中高大と学校ではそれを教えていないのに無理だという事を言ってたなぁ。詳しい事は忘れてしまったけど、要は私がここで語っていた事と同じという事だ。
 物事を始めるには全体を見る目が必要なんだって事。その上でどう行動するかを考えるって事。単語に当てはめたら戦略と戦術って事。

 先生の言葉を聞いてやっぱりなぁと思ってた。パネラーの一人が先生に質問した。

「俺は全体を見ると言うより、その時その時に考えて行動する方がいいって思ってる人間なんですが、そういう人間は……」
「末路は決まってますね」

 断言してたよ(笑) しかもにっこり笑ってたよ。私は爆笑したよ。
 ほうらね。普通、大人は、社会人はそのように考えて行動するもんなんだよ。その時その時を考えて……言い換えよう、その場凌ぎで生きてる人間の先は見えてるんだよ。だから考えて行動しないとね。それでも私を中傷するのかしら?
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at 12:31, 真神恵, 望月の謳(随筆)

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天に唾を吐く

始めに
 一言で言うなら、一体何が言いたいんだ? という文だった。とても大学を出た人間が書いたようには思えない。一見、淡々と書いてるようにも見えるが、感情のまま書いたのかもしれない。

 明らかに某かの日記を読んでの反応なのだろう。地震に関して思った事を書くのであれば、当日に書くだろうに、それは翌日に書かれていたのだから。しかも、書き忘れていたようだ。

 5つだ。

 “当日”ではなく“翌日”に書いたという事。
 その内容が他を非難するためだけに書かれていたという事。
 二つの意見。
 身内が安否不明だと書いた事。
 震災で家を無くした知人がいたと書いた事。

 まずはその5つだ。
 そして更に1つ。

 どうしても感情が表立ってくるので、私は3人に意見を聞いてみた。2人の友人と下の妹に。妹と友人Oには、一番カチンと来た事だけを先に切り出して、それから日記の全文を読んでもらった。そして、友人Hにはいきなり日記の全文を。
 Hに聞いたのは、まっさらな状態の人間なら最初に何と思うのか知りたいと思ったから。休日に来たメールには「何も思わない」だった。それは意外な感想だったので正直驚いた。しかし、読んでいくと情報が足りなすぎて判断できないというニュアンスだった。気になる箇所が数個あったが、読んでるうちに何が言いたいのか解らなくなったと言うのだ。
 人物像が掴めないので、他の日記も読んでもらった。そしてメッセで話すこと4時間。半分以上がその話題だった。  何も言わなくても彼女らの意見は私とほぼ同じだった。向こうが毒をたくさん吐いてくれたからか、その通りと相槌を打つ事しきり。特に妹との会話に関しては。妹がかなりキツい意見を言うので、私は何も言う事が無くなってしまった(笑) 言いたい事を全て言ってくれたという感じだった。
震災体験者?
 その人は自身も阪神大震災を体験したのだという。だとしたら凄く疑問に思う。体験したのであれば書き忘れる事などあるのだろうか? あの映像を見て過去の記憶が甦ってくるのは間違いないのだから。私はたまらずに日記に書き記して、それによって心を整理しようと思ったが、正反対の人もいたと思う。もう思い出したくないと思っていた人もいたと思う。だから、全く触れない人もいると思うのだ。心の傷がそうそう癒える筈もないのだから。また、未経験者については先日書いた通りである。
 だから何故書き忘れたのだろうと疑問に思うのだ。
 衝撃があったから当日には書けなかった、というのならまだ納得はできる。しかし、後に続く文面は誰かを非難してるだけだった。それが書きたいがために翌日に持ち出した……つまり「ネタ」としかとってないのではないかと思ったのだ。

 確かに大災害が起これば特別報道番組が放送されるのは当然であり、また予想される事態だ。だから、番組が潰れた事に対して文句を言っていたというその誰かに対して呆れるのは私も同感だ。
 ただ、その報道機関が1日くらいはそれにかかりきりになるのは当然だろうと言ったその考えが不可解ではあるが。1日だけで済む問題ではないだろう。災害というのは見てるだけの人からはその場で終われるだろうが、現地の人間にとっては先が見えず、いつ元通りになれるかなんて見当もつかないのだから。人智を超えた力に対して、人はいつも無力なのだ。

 書いてる事は一見正当であるが、紐解いていくと一貫性がなくて無理がある。それとも単に反論するのが好きなだけか? よくあるタイプなのだが、自分の方が上だという事を言いたいが為に他人を叩いて自分を正当化してるのだろうか。
二つの意見
 二つの意見とは、 役に立ってないと当事者でもないのに何で判るのかという意見と、新潟が神戸ほど都市じゃないから放っておいていいと(相手が)考えてるのかなと書いたという事。
 私も役に立ってないと書いた人間だが……もしかしてこれは私に対しての非難なのだろうか? まぁ、長々と書いて来た通り、役に立ってなかったのは経験済みなので判るのかといえば震災の時、少なくとも私はそうとしか思えなかったと答えるほかはないな。
 次の新潟が神戸ほど都市じゃないから……とは相手がそう思ったのだろうかというのがその人の考えなのだが、私はそれを読んで恐ろしいと思った。その誰かがどう思っていたかは判らないし、その人が憶測したように考えたらため息ものだと思う、だがそれはあくまで仮定の話だから何とも言えない。私が恐ろしいと思ったのは「そういう発想ができる事」である。翻せばその人は普段そういう事を考えられる人物なのだと暴露しているようなものだろう。それこそ絶句である。
 都市じゃないから神戸より大変だと思うのが普通の感覚なのだと思うのだがどうだろうか? いや、それ以前にそんな発想する事からしておかしいだろう。ましてや自分を震災体験者だと主張してるのであれば! そんな発想自体ができたその人を空恐ろしいと思った。いや、震災を体験してなくてもそんな発想はしないだろう。どう見たって失礼極まりない発言である。震災と今回の地震で亡くなった人や体験した人全てに対して。
書いた意味
 それを書いた時点で安否不明の親類がいたそうだ。  私にはそれが心配だからというより、自分も今回の地震でも当事者だと言いたかったんだろうとしか思えなかった。付き合いがあまりない親類だという説明の部分がどうにも理解できず、その為にそんな意味にしか取れなかった……。友人はそう言い触らす事で皆が注目するんだと考えていたのかもしれないと言っていた。

 もう一つ。10年前の震災で家を無くした知人がいたと書いた事。
 読んですぐ思った事は「それで?」だけだった。家を無くした知人がいて大変だった。それはそうだろう。だからそれで? 何が言いたい?
 家が無くなって大変だったのはその通りだと思う。けど、大変だったのは知人とその家族であって、その人ではない。だから「それで?」なのだ。友人の言葉を引用すれば、その重大さが解ってる人は普通言い触らさない。また失礼だし不謹慎だ。

 その二つの事を書く事で、だから自分は被災者の気持ちを理解している分別のある大人だとでも言いたいのだろうか? だとしたらとんでもない勘違いである。両方とも直接自分が体験した事ではないだろう。先述したように、自分を正当化する、その為だけに上記の事を利用したとしか思えない。その場の感情で話題性になるような話をしただけなのだろうか。

 不愉快に思った。

 では問おう。安否不明の親類がいて、家を無くした知人がいて、その時自分は何をやった?
 友人は偉そうに言う前に何かをしろと言うのは自分にも言えるので他人を非難する事はできないと言っていた。だけど、この事態に対して取るべき態度や行動は選んでほしいと。
 私が言いたいのは何かしろ、という事ではなく、できる事を何かやったのか、という事である。私はその時自分にできたのは距離的に一番近い場所に住んでいて、私にしかできないと思ったから自転車で祖父の家まで安否確認をしに行った。そんな事よりも心配だったからって気持ちの方がいっぱいだったというのが正直なところだけど。
 もちろん新潟は遠いし、交通機関も麻痺していたから駆け付けるというのは無理だったと思うので簡単に比較できるものではないと解ってる。しかし、同じ震災を体験したと豪語するのであれば何をやったのかと問いたくなるのだ。実際は家人のした事や情報を受け取っただけだと私は推測する。そうとしか思えない記述があったからだ。
地震の体験者
 当時もし私がサイトを開いていて、現在のように小説を書いてる生活をしていたとしたら……とてもじゃないが執筆どころではなかっただろう。実際、直接関係のない新潟の地震で書けなくなっていたのだから。当時もジッとしていなかった。心配でたまらなかったから身体が動いていた。小説なんて書いてる心の余裕なんてなかったのだ。だがその人は地震の当日もその翌日も小説を書いていたのだ。信じられない。だから、当事者ぶりたいのだとしか思えないのである。大変だったと言ってる割りには他人事のようにも見えると友人は言っていた。
 件の親類は翌日に安否が確認されて、その事は心から良かったと思える。しかし、それだけなのか? 前日にあそこまで書いておいて、身内が無事だったらそれで終わりなんだろうか? それを読んで訪問者は大丈夫なんだろうかと心配すると思うのだ。心配をかけてしまった事に対して何の言葉もない。友人は「ご心配おかけしました」くらいは書いた方がいいんじゃないかと言っていた。
 或いは、書くのなら自分に安否不明の親類がいるのだと自慢のように書くのではなく、安否を確認してから不明の親類がいたが無事に確認が取れたと書いたら良かったのだ。まぁ、自分を当事者だとか相手を非難するというのが目的ならばそれはないか……。

 10年前の震災に関する記述に関して大いに言いたい事がある。そんな意味も込めて私は自分の体験を語ってきたのだ。これがもう一つの理由である。
 自分も体験者で、だから云々と書いてもらっても……当時小中学生の記憶がどれほどのものなのだろうか? 深い傷を負ったのであればネット上にあのように書く事はまずない。思い出すのも辛い記憶となってるだろうから。抜粋したものではあったが、社説の記述をもう一度読み直してもらいたい。
 地震の翌日にあったチャットである人と話した。私は子どもの記憶だから曖昧なんじゃないかと言うと、相手は子どもだから鮮明に覚えているんじゃないかと言っていた。確かに鮮明に覚えてるだろうと思うが、それは感情の記憶だけだと思うのだ。「地震が来て恐かった」というような。

 私は思うのだ。その人は“震災”を体験したのではなく、“地震”を体験しただけなんじゃないかと。
 阪神大震災が起こったが、当然地域によって震度は違う。震災の時に電話してきたのとは違う西宮で知り合った、当時は何故か大阪で入院していた友人がいたが、彼がいた所は震度4だったそうだ。そして私の実家も震度4だった。母の言葉に激怒して、自分の目で見てみろと西宮に連れてきた事もあった。結果、その認識の差がこんなにも違うものなのかと愕然とした記憶がある。その人の記述も読んでるとそうとしか思えなかったのだ。
 私は自分が住んでた所や祖父のいた場所を具体的に書いたがその人は単に兵庫県と書いていた。別に細かい住所を書く必要もないけれど、その辺りも不信に思う一因だ。また、私は当時一人暮らしで、頼れる者は自分だけだった。その人は子どもで地元の人間で、周りには守ってくれる大人がいた。同じ地震を体験していても随分違うと思うもう一つの事実。だから「震災ではなく地震を体験しただけ」と思ったのだ。
逆鱗
 最後に、私と友人Oを最も怒らせた事。それは文章のまとめの部分である。その一言でまがりなりにも正しい事を書いていたのに全てが台無しになったとも言える。アニメを「くだらない」と書いていたのだ。妹と友人Oには始めにその部分だけを聞いてみたのだ。
 妹はおかしいと始めに言った。そして次におかしいと言うよりそれが侮蔑の言葉だと。その時までは単に不愉快だと思っていただけだったのだが、妹の言葉に相手を侮辱してるんだと思い至った。Oは人の好みをくだらないと言う人とは友人にはなれないと言っていた。始めから全文を読んだ友人Hは、メッセで話していて私がそこにひっかかるだろうと見事に言い当てた。

 地震の事と、この発言は全く次元の違う話である。地震のせいで番組が潰れたと言ってた人に対してくだらないと思うのと、アニメがくだらないと言うのは全く違う。話の最後を非常識で見当違いの悪口で締めくくれば、それまでどんなに正論を言っていても説得力はなくなるとはOの言葉。しかし私は最後の文の理由として、それが書きたい為に長々と正論を語っていたんだと思った。友人とのメールのやりとりをしていてそんな結論に辿り着いた。だから改めて全文を読んだOの「立派な事を言ってるだけ」という感想に合点がいった。
 またHとのメッセでは、サイトの存在ついて語り合った。アニメをくだらないと断じるのなら、自分のやってる事を否定するのかと。地震に関連する事では自分を正当化したいのだろうが、それによって現在自分がやってる事を否定するなんて、自己否定ではないかと。矛盾してるではないかと話していた。
 その人はアニメを見ないで漫画や小説だけを読んでるのかもしれない。だけど、その考えはおかしいと思う。Hはアニメと漫画の垣根なんて低くなってるから、漫画が優れてるなんて言うのはおかしいというニュアンスの事を言ってた。
 勿論、これらは全て憶測での話である。だが、その場の感情で書いたにしてもそれこそ本人が書いていた言葉をそっくり返したいと思う。どこに被災者の関係者がいるかわからないのだからと書いていた。ならば、アニメが好きな人たちがそんな風にその人が思ってると知ってどう思うだろうか? 確率としては被災者の関係者よりもアニメが好きな人がその文面を目にする方が高いと思うのだが……。それともアニメが好きな人とは付き合いたくないとでも言うのだろうか?
 加えて私の言い分。
 よく、原作派とかアニメ派という区分けを見かける。しかし、オタクが否定してジャンルを分けたとしても、一般から見たら漫画もアニメも一緒だろうし、映画や小説だって創作と一括りにできる。アニメを「くだらない」と言い切るのなら、漫画もそう言ってる事に気づいてないのだろうか? そして、漫画系サイトを自分がやってる矛盾にも。自己否定。その言葉しか思いつかない。
最後に
 震災体験者といっても色々いるし、失ったものも人それぞれだし、守ってくれた大人が近くにいたという事もある。しかし、少なくとも、何を体験しててもそれを生かせてないどころか、本末転倒に「アニメはくだらない」発言してる時点でその人は自らの評価を下げてしまってる。
 こんなに長く色々書いてきて、さぞ私はその人の事が嫌いになっただろうと読んだ人は思うだろう。しかし、信じてもらえないかもしれないが、実際はそうでもない。もし、その人が私と同じか年上ならばそのように思っていただろう。しかし、彼女は弱輩者だ。しかも社会に出てはいない。仕方がないなぁというのが正直なところである。Oには厳しいと言われてしまったが、社会人になって最低でも3年働いてやっと卵だと言えると私は思っているのだ。そう、まだ雛ですらなく生まれてもいない。つまり、これから大いに成長していける可能性があるのだ。
 自分が正しい? 自分は他と違う? 学生時代に好きなだけそう思っていなさい。そして働いて社会に出て色々学んでいきなさい。過去の自分がいかに何も知らない人間だったかというのが痛いほど解るから。これはその人だけでなく、これまで私がここで色々書いてきた全ての人に当て嵌まると書いていて思った。
 その人に対してのOのありがたい言葉がある。Oは物書きをして10年以上じゃないかと思うのだが、彼女曰く「目指しているものになりたいのなら、文法と礼儀の正しい話術を身に付けてほしいもんだ」と。
 Hだって学生時代から色んな文章を目にしていて、評価も厳しいんじゃないかなとたまに思う事もある。その職の人の文章は読んでいて普通に面白いと言っていた。客観的に書かれているからと。だからその人の、その文だけでなく他の文も読んだ上だが、日記とはいえそれを目指してる者が書く文章とは思えないと言っていた。言葉遣いや文の繋がり方、それと誤字。もっと厳しい事も言ってたが。

 だけど……常々思うのは、私が不快に思った人は、私が知り合ったほぼ全ての人たちも不快にさせてるんだなぁという事実。今回の事だけでなく、これまでもそうだった。尚、蛇足だが、今回のタイトルは友人Hの言葉から拝借した。
─END─
2004/11/27脱稿
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at 19:19, 真神恵, 望月の謳(随筆)

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パクりという言いがかり

青天の霹靂(2003/03/12)
 今週はオンラインの知り合いの身にいろいろあったな……。私だけが平和だったなぁ。だから、できる事をしたいと思った。

 通わなくなったサイトがある。断ってからそうしたし、向こうもそれはよく解っている。でも、ずっと友人なのは変わらない。
 で、ここにこういう事を書いたっていう連絡が来た。でもそれは私じゃないからって報告で、「?」な私は読みに行ったの。
 当人たちの問題だから詳しくはコメントしないけど、どちらも嫌いで書いたわけじゃないと知ってホッとしてる。感心したのは相手の対応が大人だった事。
 でも、どちらも自分のサイト内で言ってるわけだから、なるほど、そういう考えなんだねって思う。
 いけないのは、他人のサイトに行って、関係ないのに他人の悪口書いたり、さも自分が正しいように書き込む事じゃないかな。公共の場所に。あと、人が書いた言葉をそのままコピーしたり、内包する意味を取り違えて茶化す事。
 それはいけないと思う。自分はどうなんだよって言う人もいるかもしれないが(笑)

 どうしたって譲れない部分はあるよ。
大人というのは?(2003/03/13)
 03/11の新聞のコラムを読んでなるほどと思った。

『成人年齢は昔は20歳、今は30歳と言った人がいる。名言だ。寿命が延びて考え方もゆっくりになった。20歳という大人になる基準も、いつのまにか「20歳までに大人にならないといけない」から「20歳になったら大人の勉強を始めましょう」という教育にかわってしまった』

 かなり前に、私は人間の現在の精神年齢について、実年齢×7割と言われていると書いた。つまり、20歳なら14歳。30歳なら21歳という事。上記と同じだね。
 昨日に捕まった26歳のアホ男の犯罪にますます納得した。

 この二日間で、携帯の電源が一つになるまでメールをしていた。こんなの今のに変えてから初めて。
 10日に送信は5、受信は9、11日は11と18、12日は15と10通。昨日冒頭に書いた今週起きた事に関してだけの数。
 詳しくは後日に語るけど、知りたくなかった……サンナミストにも痛い人がいたなんて! 携帯サイトで私が認識してるのでは現在2人。

 はぁ〜。
思う事(2003/03/15〜03/21)
 実は少し前から理不尽としか思えない出来事があった。

 PCから来てる人は知ってるかと思うが、愛国のサイトはPCから見た場合目で楽しめるようにいろいろ弄る事ができる。ここは携帯から見たのと殆ど変わらないが(笑)
 そのために、大抵の人は素材サイトで借りて自分なりのサイトを作っている。愛国にも推奨の素材サイトがあって、そのリンクを辿ってやってると思う。たくさんの素材サイトがあるから、その分、ある程度の独自性を主張できるとは思う。
 しかし、所詮は他人から借りてるものだから、他人と似た造りになる事も多々あるだろう。愛国推奨のサイトからなら尚更その範囲は狭くなる。だから、どんなに独自性を主張したとしても限界があると思うんだ。

 理不尽に感じた出来事とは、そういう、他人から借りた素材を使ってサイトを作ってるのに、デザインが似ていると真似されたと言ってる人がいた事なんだ。
 その人が言うには、他人と被るのが嫌だから改装をする時に被らないようにいろんなサイトを見て回ったそうだ。そこでこれだと思ったものを使っていたと。

 私は語られる前にどちらのサイトも見た事があって、「同じ所を使ってるんだなァ」としか思わなかった。しかし、その人は違ったらしい。そして「パクられた」「真似された」と思い込んでしまった。

 しかし、ちょっと待てと私は言いたい。

 どのサイトをどれだけ見て使われてないと判断したのだろうか? 私が同じレイアウトのサイトを見かけたのはそこがそうなる前から他にもあった。それを見ていなかったのだろうか? 或いはワンピサイト以外でも使われてると思わなかったのだろうか? 独自性にこだわってるのに、近所で見かけなければいいと思ってたのだろうか?

 語られてる事に矛盾を感じてしまうのだ。

 公の場所で万人に提供してる素材サイトから借りていて、同じレイアウトだから真似をしたという考えはどこから出てきたのだろう?
 自分より後だったからという事でなく、自分より前に借りてる人に対してもそういう発言をするのは何故?

 それをどちらが先に借りてるのかはわからないがと断っているが、主張するからには調べないといけないと思うんだ。因みに二つの内、一つはその人が「後から」借りた事が判明している。しかも2ヶ月の開きがある。動かぬ証拠だね。  もし、それを知っていてどちらが先に借りたのかわからないがと語るのならば、とても褒められた行為ではないだろう。

 独自性って何だろう?

 私が何も弄ってないのは、いろいろ探してはいるのだが、イメージが「これだ!」と思うものが見つからないから。自分でもPCから見ると味気ないなァとは思っている(笑) だから休みに素材を探し回っていた。
 しかし、サンナミストじゃないけれど、私のサイトを見た人が「シンプルでいいですね」と言ってくれた。私は疑い深いので、真意は別にあるのかと一瞬思ったが、ここは好意的に言ってくれたんだと思う事にした。だから探すのを止めて何もしない事にした。あ、そう言ったら語弊があるか

 ええと、色を設定してるかな。基本は白。でも今は水色にしている。携帯からも反映されてると思う。少なくとも私と同機種の人ならそうなってる。
 それと、シンプルなのは私も好きなのだが、やはりもう少し何かほしいと思って、携帯の容量ギリギリで、かつてオエビで書いた絵を加工した画像を貼り付けている。私は他から借りようとは少しも思わなかったな(笑)

 結果、【望月の謳】はその人の言う独自性を持ち、世界で一つのサイトになってると思う。
 つまりはそういう事なんだよ。
 独自性と声高に言うのであれば、全て自分で作ったらいいのだ。絶対に被らないのだから。もし被ってしまった場合、その時点で著作権の侵害となるからね。
 或いは素材を自分用に作ってもらう。そんな事が可能なのかはわからないけど。もし、自分はこれを使ってるから、他の人に配布しないでくれと言ったら永久追放されるだろうね(苦笑)

 そして私はそれについてワンピの管理人仲間やメル友、オフラインの友人O(と言っても彼女は別ジャンルでサイト運営してるのだが)とメールで意見を聞いてみたんだ。それが先週の土曜日に書いた送受信のメールの数。メッセで話せる人にはそこで話した。

 全員がその人の考えに首を捻っていた。つまり私と同意見。

 誰かと被るのが嫌なのであれば自分で作ればいい。素材は勉強したら作れるんじゃないかな? そういった努力を怠っているのに、人から借りたものを自分だけのものだと思わせるような発言は一人前の人間のする事ではないだろう。

 そして、今回の件で友人Oはとても解りやすい例えを書いてくれた。

「何であんたが私と同じ本を持ってるのよ! 私が持ってるのを真似して買ったのね! マイナー本だから私しか持ってないと思ってたのに!」

 そう言ってるのと同じだと。解りやすいでしょ?
 そして、「世界に一冊しかない本でない限りそんな主張が正当である筈がない」とも言っていた。まさにその通り!

 その人はどうも友人に教えられて他のサイトの存在を知ったようだが、私はその友人こそが過った認識だと思う。そして、そんなメールは送るべきではない。第三者から見たら、当事者を煽ってるとしか思えないからね。ましてや、確たる証拠もないのにもう一方の当事者に非難めいたメールを送ったとしたならば、中傷以外の何ものでもないだろう。
 友人に対して善かれと思ってやったのであれば大きな間違いである。その行為は自分だけでなく、友人であるその人をも貶めているから。その事実に早く気づいてほしいと思う。その人たちがいくつなのかは判らないが、社会人であるならばもう少し大人の対応をしてほしい。

 しかし、それを鵜呑みにしてしまうその人も問題はあるな。友人の言う事だからってそのまま信じるのは自分の考えがないと思われても仕方がないと思うよ?
   現代社会は情報が氾濫して飽和状態だけど、それを吟味して選択するのはその人の資質だからね。

 まぁ、素材に関しては、借りた当時どうだったかはともかく時間が経てば別の誰かに借りられていくのは自然の事なんだよね。

 この件は、サンナミサイト、ワンピサイトだけでなく、全てのサイト運営者にとって看過できない事だと思ったので書こうと思った。

 真似するのとパクりは違うと思う。
 何ごとも他に影響されない人はいないだろう。人間はより良いものがあればそれを吸収して、その中から自分なりのアイデアを捻出して発展していくものだと思う。
 もちろん、他人の作品をそっくりそのまま自分のものとして発表するのは著作権侵害。全部じゃなくても殆どがそうならそれもいけないだろう。
 その人の発言を見る限り、それすらも否定していると思う。だから向上心がないと言われても仕方がないんじゃないかな?

 追記として語るのなら、その人の論理を飛躍してみたら、手塚治虫以降に描かれた全ての漫画はパクりとなり、ワンピもDBのそれだと言われるかもしれないね。
 もっと飛躍した事を言ったのなら、我が国ですら他国のパクりだという事になるね。日本はこれまで他国の文化を吸収して独自の文化を築いてきたのだから。
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at 18:47, 真神恵, 望月の謳(随筆)

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